蒲田のあゆみ
営業推進部の金です。
営業推進部の本棚に【70年のあゆみ】があったので、手にとってみました。
長い歴史を持つ蒲田工業の創業以来の概要はホームページやカタログを通して分かりましたが、
創業するまでの歴史も知りたくなって調べてみました。
この一冊には蒲田工業の創業からの波乱万丈な歴史が記してありました。
本書の記載によると、ベルトは明治初期に機械の伝動ベルトや牛革製の皮革ベルトは機械の付属品として輸入してきたそうです。それに応えて、明治21年(1888)に日本で初めて牛革を加工したのが株式会社ニッタ様でした。一方、木綿ベルトは明治20年(1887)に日本木綿調帯製作所が日本初メーカーとして製造されました。
明治28年(1895)、羽田商店を開き、木製手織足踏み織機によって調帯を製作開始。
明治37年(1904)、羽田調帯製作所の工場を建設。この時から、イギリスのロバートホール社製の
タベット式ベルト製織専用力織機をそなえ「ハタ印調帯」を製造。
大正3年(1914)、大一次世界大戦勃発、国内諸産業が急激に高揚し、ベルト需要が急増。
大正4年(1915)、「ハタ印ゴムベルト」を製造。
大正10年(1921)、蒲田商店を設立。(羽田調帯株式会社の総代理店として創立。)
大正12年(1923)、ダンロップ護謨(極東)株式会社の総代理店になる。
(同年9月1日、関東大震災)
昭和2年(1927)、東京渡邊銀行の休業による金融恐慌。
昭和4年(1929)、蒲田調帯株式会社を設立(四日市)
(同年10月24日、ニューヨーク株式市場の大暴落―世界恐慌)
昭和12年、東海護謨工業株式会社、同36年に東海ゴム工業株式会社になる。
昭和13年、蒲田商店を再起し、同18年に蒲田工業株式会社に改名。
昭和25年(1950)東洋ゴム工業勧誘を受けて、代理店となる。
ここまでが現在の「蒲田工業株式会社」になるまでの長い道のりでした。
時代の変化や用途に応じて、様々なベルトを開発したり、改良してきたりしました。
昔は本当にベルト一筋で頑張ってきた会社であるかがよくわかると思います。
現在の蒲田工業はベルト分野だけでなく、クリーン環境や表面処理など他分野でも
頑張っていますので、宜しくお願い致します。
蒲田工業ホームページ